京北町から日吉界隈うろうろしてたときのことです。道に迷って、そのうちダムのほうに出るやろう・・と思って舗装された林道を走ってたら行き止まり。だだっぴろい荒野が広がっていて山側のほうをちらっと見たら立て札があって、その場所はむかし都の陰陽師の令で死体をいくつかに分けて埋葬したみたいなこと書いてあって、てっきり古道跡だと思って情緒に浸ってたのが急にこわなって、ちゃんとしっかり読まないうちに車に引き返そうとしたら誰もなのにいないはず雑草踏む音聞こえて確かに何か気配感じたのです。もう背筋ゾーっとしながら来た道戻りました。
無我夢中で八木大橋の辺りまで来ましたら車がへんな音がする。パンクでした・・
タイヤの横がスパっと鋭利な刃物で切ったみたいな穴@@こんなこと初めてで。
単なる偶然??しかもテンパーに交換しようとしたら夏ホイール専用のだったので工具が合わず数百m離れた場所にちょうどすずきの自動車工場があったので事情話したら忙しいから・・って無視。従業員は暇そうにしてたのに冷たいものですね。それが当たり前なんでしょうか?自分なら困ってる人がいたら絶対ほっとけません。しかもプロなら。ってこれは関係ないのですがw
その陰陽師の話詳しく知ってる人おられますか?確か日吉の持越峠近辺だったはずです。
拙文申し訳ありません。

貞任峠だよ。以下引用
平安時代後期、朝廷は、自分たちから独立した勢力を持っていた奥州の豪族・安倍氏の征討を源頼義らに命じた。十一年間に及ぶ戦い「前九年の役」(一〇五一-六二)の末、一族の長だった安倍貞任は「厨川(くりやがわ)の戦い」で戦死し、安倍氏は滅亡した。
 貞任の亡きがらは朝廷に送られ、都の陰陽師の進言により「東西南北に川のある地」である「有頭(うつ)の地」(現・京都市右京区京北下宇津)に埋められた。しかし翌朝、日の出とともに貞任は生き返り、たたりをなした。そこで、体を二分、三分としたが、やはり生き返る。最後は、体を七つに分けて埋め、下宇津八幡宮に貞任の霊を祭り、ようやくたたりは静まったという。
 亡きがらを七つに切ったところが「切畑」、首を埋めたのが「貞任峠」。ほかにも、下肢を埋めた「人尾(ひとのお)峠」、足と手を埋めた「足手谷」など、下宇津周辺には貞任伝説にまつわる地名が残る。中でも貞任峠にある「貞任の首塚」は歯痛封じの御利益があるとして、古くから地元で信仰を集めていた。

持越峠って死体を持って越したから持越峠っていうんだってね

死体以外にも生活用品からなにから周山側から雲が畑側へいろいろと持って越えた峠だから持越峠と呼ぶそうな。だから他にもおんなじ名前(持越)の峠があるわけ。